Crybaby dragon story



・使用フレーズ「駆け抜けたその先には」








【0】
    奥深い森の中にひっそりとたたずんでいる一つの洞穴。
 その洞穴の入り口にゾロアークという黒い狐が一匹いました。両手にはいっぱいの木の実をかかえており、一度、空を仰ぎました。どんよりと重そうな灰色の雲が広がっており、これは一雨くるかもしれないなとゾロアークは鼻をひくひく動かしながら予感します。さて、雨に降られる前にさっさと洞穴の中に入ろうとしたゾロアークの耳になにかを捉えます。
 めそめそ、めそめそ、めそめそ。
 その声は洞穴の中から響いており、それを聞いたゾロアークはまたかと思いながら洞穴の中に入っていきます。
 ゾロアークがほの暗い洞穴の中を少し進んでいくと、やがて、行き止まりへとたどり着きます。そこには真っ赤な顔とごつごつとした体を持った一匹のドラゴンがうずくまって、めそめそとしていました。
 また泣いていたのかお前はとゾロアークが声をかけると、そのドラゴンが顔をあげました。ぽろぽろと涙をこぼし続けながらも、ゾロアークだと分かったドラゴンはコクリと一回頷きました。今日は一体何があったんだよとゾロアークが尋ねますと、ドラゴンはおえつ混じりで答えました。
 ディグダがここに来て自分の悪口を言っていったと。
 どんな風な悪口だったんだよとゾロアークが更に尋ねてみます。
 やーいやーい泣き虫ドラゴン、お前はドラゴンじゃなくて虫だ虫。そんなやつは無視するに限るぜ。
 そのドラゴンの答えにゾロアークは腹を抱えて笑いました。確かにめそめそとうずくまっているドラゴンは虫のように見えたと思ったからです。面白おかしいと転げまわっているゾロアークに、どうしてそんなに笑うのさとドラゴンはわんわんと泣き始めました。やがて笑い終えたゾロアークが目じりに溜まった涙の粒を払いますと、木の実を一つドラゴンに差し出しながら言いました。
 お前、いい加減に泣き虫から克服しろよ。
 ドラゴン――クリムガンは泣きながらもその木の実を受け取り、その真っ赤な泣き顔にゾロアークは赤いツメでいましめるかのようにツンっとつつきました。


【1】
 今日も雨が降っているなぁとクリムガンは洞穴の奥から外の景色を眺めながらため息を一つもらしていました。
 体は動けないし、雨は止む気配がしないし、ゾロアークは来ないし、なんて退屈なんだろうかとクリムガンは泣きました。せめて、いつも体を動かすことができればと思ったクリムガンでしたが、やはり体は動きません。クリムガンの体はちょっと不思議な構造をしており、体温が下がってしまうと、このように体を動かすことができなくなってしまうのです。だからクリムガンは雨が嫌いでした。早く晴れてくれればいいのに、そう思うばかりでした。
 ひっくひっくとおえつを漏らしながら、このままなにもすることもないしとクリムガンは寝ることを決めました。夢の中ならきっと体を動かすことができると期待を込めながら、オレンジ色の瞳を閉じようとしたときのことでした。
「ふぅ、ひどい雨にやられてイタタですわ……まぁ、ここならなんとかしのげそうかしら」
 なんだか聞き慣れない声がするとクリムガンが目を開けますと、洞穴の入り口に誰かがいるのを見えました。焦げ茶色の服を着ていて、頭には黒い頭巾をかぶった一人の人間の娘でした。
 その娘が暑苦しそうに黒い頭巾を取りますと、そこから金色の髪が飛び出してきて、腰辺りまで垂れます。水を含んだのか、ポタポタと髪先から雫が落ちていきます。とりあえず濡れた頭巾をしぼった娘は、ひとまず、それで髪をふくことにしました。丁寧にくしですくうようにふいていき、頭巾をしぼってはまた髪をふいての繰り返し。
 最初、クリムガンは見慣れない姿に驚いていましたが、それから、こいつもディグダのような悪口を自分に言いに来たのか、いじめにきたのかと徐々に不安な気持ちになっていきました。今度はなんて言われるのだろうかと思うと、また涙が出てきそうになり、ついにめそめそと泣き始めました。その泣き声に娘が気がつきました。
「誰かいらっしゃるの? 先着かしら、まぁ、こんな雨じゃ、わたくしみたいにイタタしている人がいるかもしれませんわね」
 心はビクっと驚くけれども、体は動けず、ただ、目をつむって、めそめそと泣くことしかできないクリムガンに娘が近づきます。足音が姿が少しずつ大きくクリムガンに伝わっていきます。ほの暗いけれど、浅い洞穴ですから、やがて娘にもその姿が見えました。
 めそめそと泣いている一匹のイキモノが。
「あら……もしかして、ここ、アナタのお家だったりするのかしら? それはイタタなことをしてしまいましたわね」
 あれ、と思いながらクリムガンが目を開けてみると、そこには可愛い顔に深緑色の瞳、そして金色の髪を携えた娘がいて、その顔はどこか困ったような顔を浮かべていました。その様子にクリムガンは自分の予想とは違うことに戸惑いました。泣き虫めとか言われると思ったのに、そんなものはこれぽっちもない。どうしてなんだろうと。
「ごめんなさいね、ちょっと雨宿りさせてもらっていいかしら? どうしてもお邪魔でイタタだったら仕方ないのですけど」
 大丈夫だよとは声を上げたつもりでしたが、どうやら伝わらないようで、困ったような顔のままである娘の前にどうしようかとクリムガンが思ったときと、雨に濡れながらも洞穴にゾロアークが入ってきたのはほぼ同じのことでした。珍しい客に気がついたゾロアークは持っていた木の実を地面に落とし、娘の方も振り返って、右手を口に当てがいながら「あら」と呟きます。一方のクリムガンはいいタイミングで来てくれたとゾロアークを呼びます。
 おーい、こっちに来てくれよ、どうしたの、ねぇ、ねぇってばとクリムガンが声をかけ続けるも、ゾロアークは立ち尽くしたまま動きません。まさか君まで無視するのか、そうなのかとクリムガンはわんわん泣いてしまいました。


【2】
 なんとかクリムガンが泣き止み、娘が改めて雨宿りしたいことを伝えると、ゾロアークがその場で座って娘の方に顔を向けながら片手でぽんぽんと地面をたたきました。
「あら……よろしいんですの?」
 ゾロアークは目をつむりながら頷き、クリムガンもゆっくりと頷きました。許しをもらった娘はホッと一安心したように微笑んでお礼を言いました。
「ありがとうございます。助かりましたわ……あぁ、わたくしはサシャルっていいますの。えっと、あなた方は……?」
 娘――サシャルに尋ねれられたクリムガンは自分の名前を言おうと声を上げましたが、残念ながら言葉が通じないようで、首をかしげるサシャルにクリムガンはまた泣きそうになります。
 やっぱり伝わらないのかなぁという気持ちがお見通しだったのでしょう、ゾロアークはクリムガンに自分たちの言葉はサシャルには分からないことを簡単に説明し、いいから見てろと一本の赤いツメをサシャルに示しました。すると、なにやら一本の赤いツメが踊り出します。やがて、その動きを見ていたサシャルがそういうことかと納得しました。
「あなた、人間の文字が分かるのね」
 当たり前だろと鼻を鳴らしながらゾロアークはしたり顔を浮かべます。
 ゾロアークはときどき森の先を抜けたところにある街とやらに行っているらしく、色々なことを知っていました。人間の文字はもちろんのこと、その街で暮らしている人達のこととか、そこにある知識とか、おいしいご飯とか、お土産話もとい自慢話をいっぱい聞かされたよなぁとクリムガンは思い出していました。
「なるほど、あなたはゾロアークで、そこの真っ赤な顔をしているのがクリムガンね」
 どうやら順調に話ができているようで、クリムガンは安心したのですが、ゾロアークとサシャルが話を進めていく度になんだか胸が苦しくなっていくような感覚を覚えました。
「ゾロアークとクリムガンは友達なんですの? ……ふむふむ、まぁ、成り行きというやつで……うふふ、でも仲がよさそうに見えますわ」
 いいよな、ゾロアークはいいよな、そうやっておしゃべりすることができてと、クリムガンはゾロアークのことがうらやましくて仕方ありませんでした。また同時に、自分もサシャルとおしゃべりしてみたいなぁという気持ちが強くなっていきます。真っ赤な顔の自分を見ても全然、怖がらないで、悪口も言わないで普通に接してくれたサシャルを思い出しながら、クリムガンの胸はワクワクと動きだします。
「雨が止んだらもう行くのかですって? えぇ、それはもうね。今、少しイタタなことがありましてね、本当はここで止まっている暇ではないのですけど」
 僕も話に加わりたいなぁ。
 クリムガンのワクワクはやがて涙を呼び寄せ、そしてめそめそと泣いてしまいました。
 その泣き声に、一体どうしたことかとサシャルは驚きましたが、すぐにゾロアークが彼女の肩をたたいて、いつものことだから気にしなくてもいいぞと示します。ちょっとしたの間の後、サシャルが苦笑いを浮かべると、ポケットの中から純白なハンカチを一つ取りだし、クリムガンに近づきます。
「その真っ赤な顔はいつも泣いているからですの? ほら、涙をふいてふいて、それから笑って笑って」
 クリムガンの顔にゆっくりとハンカチを当てると、サシャルはその頬につたう涙をぬぐっていきます。そのサシャルの行為にクリムガンの目は丸くなりました。自分の涙をふいてくれるなんて初めてのことでしたから。
 なんでだろう、涙を止めてくれようとしているのに、涙が止まらないやとクリムガンは泣き続け、サシャルはクリムガンが泣き終わるまで、ハンカチを動かす手を止めることはありませんでした。
   
    
【3】 
 雨が止んだ頃はまん丸なお月様が昇っていました。
 流石に夜で視界が狭まっている中、森を突き進むのは危険だということで、サシャルは洞穴の中で一泊世話になることになりました。ゾロアークが採ってきた木の実を一緒にかじり、ゾロアークを通じてサシャルとクリムガンもおしゃべりを少し交わした後、寝ることにしました。サシャルを真ん中に置いて、彼女を挟むかのように左右にはゾロアークとクリムガンと、暖を取る為に隙間なくピッタリ並んでいます。あっという間にすやすやと寝息を立て始めるサシャルに、ぐがぐがと少しいびきを立てているゾロアークに、そしてクリムガンはというと――。
 駄目だ、なんか眠れないと目を開けていました。
 静かな空間の中、やけにどくんどくんと自分の胸が音を立てて鳴っているのを感じる。まだクリムガンの中で興奮が冷めきらないようでした。こんなに胸がドキドキしたのは初めてかもしれないと、クリムガンはゆっくりながらも右腕を胸に当てて、その余韻を感じていました。
 昔、クリムガンはこの洞穴がある森とは違う、人里近いところに住んでいました。
 しかし、どう猛そうな体つきと、真っ赤な顔が悪魔のようだと、周りから嫌われていました。
 それが嫌になって、元住んでいた場所から逃れるように離れ、この奥深い森の洞穴にたどりつきました。
 そこで最初に出会ったのがゾロアークでした。
 普段は生意気な口をたたいて、クリムガンにちょっかいを出したりすることもあるゾロアークでしたが、面倒見がよく、体温が下がって動けなくなった自分を日光の下に運んでくれたりとか、木の実を運んでくれたりとかしてくれます。
 まぁ、いつも取りすぎたから恵んでやるよって言いながら渡してるけどとクリムガンは苦笑を漏らしました。
 ディグダみたいに自分に悪口を言う者もいたりしましたが、それでもクリムガンの暮らしは以前より静かなものとなっていました。
 そんな中で現れたサシャルという人間の娘に、なんだか自分の世界が変わったようなそんな衝撃を受けた、この気持ちは一体なんなんだろうかとクリムガンは疑問に思います。ゾロアークに出会って付き合い始めたときとはなにか違う、なんなんだろう、本当に。そんな風にクリムガンが思っていると、ゾロアークがもそっと起きてクリムガンの方に向き、まだ起きていたのかと言いました。急にゾロアークが起きたことに心臓をドキンと跳ねさせながら、クリムガンは起こしちゃった? と尋ねると、ゾロアークは別にと首を横に振ります。
 お前こそ、なんか考えごとで泣いてるのか、飽きない奴だな。
 そんなゾロアークの言葉にクリムガンはとんでもないと言いました。確かに考えごとはしていましたが、泣いているわけではありませんし。クリムガンの返事にゾロアークはあっそうと流し、再び横になりました。
 ねぇ、ゾロアーク、なんかサシャルに会ってから胸が変なんだ。君は物知りだろう? この気持ちがなんだか分かるかい?
 再び寝息を立てようとしたゾロアークにクリムガンがそう投げかけますと、ゾロアークは頭をかきながら、さぁな自分で考えろ自分でと一言だけ返しますと、間もなくいびきを立ち始めました。
 いじわるだなぁとクリムガンは目頭にうっすらと涙を浮かべながら、サシャルの寝顔を見つめます。夜目の中に飛び込んでくる彼女の寝顔に素敵だなぁと思いながら、ゆっくりと夜を過ごしていきました。

 翌朝、クリムガンが起きたときにはそこにはもうサシャルはおらず、目の前にはゾロアークがいるだけでした。
 残念だったな、サシャルはもうここから旅立っていったぜ。
 ゾロアークからの知らせにクリムガンはそんなと叫びました。まさか何も言わずに行ってしまうなんてと目を丸くしています。信じられないといったような顔をしているクリムガンにゾロアークはしょうがねぇなとため息を漏らしながら説明しました。今はもう昼間だということ、サシャルが気持ちよさそうに寝ているクリムガンを起こすのはなんだか忍びないと言っていたこと、代わりに自分がクリムガンに言っておくからと送り出したことなど。
 要するに寝坊したお前が悪い。アイツも言ってただろう? ここで立ち止まっている暇なんてねぇってな。
 これで説明は終わりだというように、ゾロアークは赤いツメをクリムガンの頬にツンっとつっつきました。最後にもう一回、サシャルを見たかった、話したかったと、クリムガンはわんわんと泣き始めます。洞穴に響き渡るその声にゾロアークは耳をふさぎながら一喝しました。
 うるせぇぞ! それ以上泣いたら、いいモンやんねぇからなっ!!
 その言葉にクリムガンは泣きながらもどういうこととゾロアークを見ると、彼の手には一枚の白いハンカチが握られています。これはサシャルがここに泊めてくれた礼としてくれたもので、クリムガンに笑顔がいっぱい出ますようにと彼女が願いを込めたものだとよとゾロアークはハンカチをクリムガンに向かって投げます。それを受け取ったクリムガンはまじまじとハンカチを見つめます。
 たった一日だけでしたが、サシャルと共に過ごした時間が何度も何度もクリムガンの頭の中に流れていきます。怖いと言われてきた自分に普通に接してくれて、おしゃべりもして、一緒に木の実を食べて、寝て、たったそれだけのことでもクリムガンにとっては忘れられない一時。その思い出を抱きしめるかのようにハンカチを大事に握り、泣きました。泣いてはいますが、先ほどのわんわんとわめくようなものではありませんでした。その泣き顔にゾロアークはやれやれといった顔を浮かべました。
 なんだ、いい笑顔してんじゃん。
 涙をこぼしながらもはにかんでいるクリムガンがそこにはいました。
 サシャルと別れたことは寂しかったのですが、それ以上に彼女が自分に残していってくれたものが嬉しかったから、そう感じることができたから、クリムガンは笑顔になることができました。このハンカチを大事にしていこう、サシャルの想い出と共に。
 
  
【4】
 サシャルと別れてから二日が経ったある日、クリムガンは洞穴から出て、空を見上げため息を漏らします。
 空はどんよりとした灰色の雲が空を埋め尽くしていて、日光が出てきてくれません。体が少し冷えてきたクリムガンにとって、そろそろ体温を温めないと、また動けない日が続いてしまうのですが、その想いとは裏腹に灰色の雲は太陽を隠し続けています。また雨が降るのかな、サシャルは大丈夫かなと思いながら仕方なく洞穴に戻ろうとしたのことでした。なにやらこちらに急いで向かっているのをクリムガンは感じ、振り向きます。足音はもちろん森の方からで、その音は間違いなくクリムガンの方に向かって大きくなってきます。なんだろうとちょっと待っていると、やがて森の中から現れたのはゾロアークでした。サシャルが旅立った日から出かけると言って、二日ぶりに帰ってきたゾロアークはハァハァと思いっきり息を荒くしています。
 ただごとじゃなさそうな雰囲気にクリムガンはどうしたの? と声をかけると、ゾロアークは息を乱しながら、怖い顔をクリムガンに向けました。その威圧的なものにクリムガンが思わず一歩後ずさります。なんだろう、本当になんかあったのかな? と無意識にクリムガンは喉をごくりと鳴らします。依然と息を乱しながらもゾロアークは答えました。
 サシャルが捕まっちまったかもしれねぇ……!
 最初、クリムガンは意味が分かりませんでした。サシャルが捕まったってどういうこと? サシャルがなにか危ない目にあっているということなのだろうかと、クリムガンはただゾロアークのことを見ることしかできませんでした。とりあえずゾロアークは今、起こっていることを説明することにしました。
 ゾロアークはときどき街に遊びに行っていたりしますが、その街とは王国のことで――。
 
 サシャルというのはその王国のお姫様だったのです。
 
 サシャルのことは街に遊んでいたゾロアークの耳にも何度か聞いたことがあり、あのとき、洞穴でサシャルと出会ったときに、なにか街の方で何かあったんじゃないのかと思ったゾロアークはサシャルが旅立った後、大急ぎで王国の方に向かいました。そしたら、その王国では反乱が起こっている状況で、おまけにゾロアークは偶然にもこんな話を耳にしました。
 サシャル姫を無事に逃がすとは、流石、王であるな。
 しかし我々を甘く見てもらっては困る。
 その会話からゾロアークはサシャルが近い内に反乱軍の追手に捕まることを感じ、急いで戻ってきたと。
 なんとか説明し終えたゾロアークでしたが、クリムガンはなおも首を傾げていました。王国やら反乱やら、物知りなゾロアークならともかく、なにも知らない自分にとってはなにがなにやらといった感じでクリムガンは軽く混乱しそうでした。その様子にゾロアークはあぁ、もう! つまりこうだと言い放ちました。
 
 このままだとサシャルが死ぬかもしれねぇってことなんだよっ!

 その言葉にクリムガンが目を覚ましたかのように、呟きました。サシャルが死ぬかもしれない……?  泣いている暇はねぇぞ、今すぐ、サシャルを助けに行くぜ!?
 ゾロアークのその言葉にクリムガンは泣きながらも力強く頷きました。昔、逃げ回っていた泣き虫なドラゴンはそこにはありません。今はサシャルを助けたいという気持ちを持ったドラゴンがそこにいました。ゾロアークは走れるかと尋ねますと、大丈夫とクリムガンは腕を振ってみせます。それは不思議なことでした、なぜならクリムガンの体はさっきまで動きづらかったのに。  よっしゃ、全速力でいくぞ、しっかりついてこいよと走り出すゾロアークの後ろに、クリムガンが続いていきます。さっきまでごちなかった体が嘘のようにしっかりと走っています。獣道もなんのその、しっかりとゾロアークの後ろについていっています。早く、早く、サシャルのところに、早く、早く、サシャル、死なないでと、クリムガンの鼓動はそう叫び続けているようでした。ゾロアークがちらっと、クリムガンの方を見て呟きました。
 
 おめぇのその気持ちは、愛っていうやつだよ、クリムガン。



【5】
 クリムガンとゾロアークが森の中を駆け抜けたその先には城が建っている一つの王国がありました。
 時刻はもう夕方頃で、いつの間にか晴れた空から漏れるオレンジ色の光を浴びながら、二匹は走り続けます。
「なぁ、なんかこっちに向かってくるやつがいるんだけど」
「んあ? 気のせいなんじゃねぇ?」
「いや、夕日を見てさぼってないで現実を見ろよ」
「おまえこそ、槍を手放してんじゃん」
「ずっと持ってるのだりぃもん」
「というか、あれ人間じゃなくね?」
「え、マジ? うおっ!? と、止まれって! ぷぎゃあ!」 
 王国の門前に立っていた二人の警備兵は壁に立てかけてあった槍を持ったときにはもう時すでに遅しで、ゾロアークが一人の警備兵の頭を踏み台に高く飛んで高い門を超えていってしまいました。そして、ゾロアークに警備兵が気を取られている間にクリムガンも難なく通過していきました。  
 やがて広場に着いたクリムガンはサシャル、サシャル、どこにいるの!? と叫びます。叫べど、叫べど、返ってくるのは広場にある噴水から流れる水の音だけでした。そうこうしている間にクリムガンは王国の兵士たちに囲まれてしまいます。
「ったく、こちとら、反乱に成功したっつうのによ」
「本当だぜ、いったいなんだなんだ、この化け物は」
「めっちゃ泣いてるんですが」
「とりあえず、倒しちまおうぜ」
 じりじりと歩み寄ってくる兵士たちに気づかないまま、クリムガンはサシャルの名を呼び続けます。サシャル、どこにいるのと涙を流しながら訴え続けます。そんな無防備状態のクリムガンに一人の兵士が剣を抜いて切りかかろうとしました。
 しかし刃はクリムガンに届くか届かないかのところで、はじき飛ばされました。
 
 お前は敵に囲まれていることぐらいに気づけ、馬鹿野郎っ!

 そう言いながらクリムガンの頬にパンチを入れたのは先に侵入を果たしたゾロアークでした。
 
 そのパンチの衝撃で目が覚めたらしいクリムガンは、ようやく自分に起こっている状況を呑み込みました。数十人の人間がなんか危ないものを自分たちに向けているということを。遅いんだよとゾロアークがもう一回、クリムガンの頬にパンチをくわえました。痛いじゃないかと半べそかくクリムガンにゾロアークは耳打ちをしました。
 サシャルはそこの中にいると思うぜ。ここは俺に任せて先に行け。
 その提案に大丈夫なのとクリムガンは心配しましたが、ゾロアークにまた頬を軽く殴られました。お前がここでいても邪魔虫なだけだからなとゾロアークは意地悪そうな顔を浮かべました。  確かにゾロアークは頭もいいし……って、邪魔虫はひどいよぉ!
 クリムガンがオレンジ色の瞳をウルウルさせながら訴えますが、それこそ虫を払うかのように、しっしっとゾロアークはクリムガンに手を払いました。もうこれ以上は聞く耳を持たないと。仕方なく、クリムガンは一匹で先を目指すことにしました。本当はゾロアークのことも心配なのですが、なによりもサシャルの方が心配です。今頃、なにをされているのか分かったものではありません。
 行ってくるよ。
 さっさと行け。
 その言葉を交わした瞬間、ゾロアークが思いっきり天に向かってほえます。なにごとかと兵士達が驚いた一瞬の隙にクリムガンは、力任せで突破し、ゾロアークが示してくれた場所――城へと入っていきました。
「この野郎、てめぇ、ただじゃすまさんぞ」  
 城の中へと侵入を成功したクリムガンの目に映ったのは、一人の太った男と一人の女性でした。 「あら……!? もしかして、クリムガンっ!?」 
 太った男の隣にいた金色の髪に新緑色を持った女性は間違いなくサシャルでした。良かった無事でいてと思うのも束の間、苛立ちを含めた声が聞こえてきました。
「なんだ、この化け物は。これから我らは婚約の儀の取り決めをするのである。邪魔はするなのである」
「い、嫌、止めて、止めてですわ!」
「うるさい、黙れなのである。貴様に拒否権などないである、お前たち、やっておけ」
 強引に腕を引っ張られ、嫌そうな顔をするサシャルを見て、クリムガンは反射的に体を動かしていました。太った男の命を受け、立ちふさがろうとする二人の兵士を力任せに突破し、一気に太った男に近づくと、その男の頬に思いっきり重いパンチを放ちました。ごきゅっとなにかが軋むような音を大きく立てながら、太った男は宙に舞いました。そしてクリムガンはサシャルを抱きかかえると、ひとまず城から飛び出し広場へと向かいます。そこにはゾロアークが立っており、クリムガンとサシャルに気がつくと、赤いツメでピースサインを送りました。周りには兵士達が倒れており、ゾロアークの方も無事に済んだことがそこに証明されていました。
 なんとかやったみたいだなとゾロアークはクリムガンに言うと、城の方へと向かっていきます。ちょっとやることがあるから行ってくるとゾロアークは手を振りながら、城の中へと消えていきました。
「ありがとうございましたですわ、クリムガン。おかげでイタタなことにならないですみまわしたわ」
 クリムガンに抱きかかえられているサシャルが笑顔でそう言うと、クリムガンはぽろぽろと涙をこぼし始めます。本当に良かった、本当に良かった。ゾロアークから話を聞いたときにはすごい心配だったんだ。君が無事で本当に、本当に。
 おえつを交えながらのその言葉はサシャルにはなにを言っているのか分かりません。しかし、自分を助けにきてくれたこと、こうしてしっかりと抱きかかえながら、今いること、言葉では伝わらなくても、クリムガンの想いはしっかりとサシャルに届いていました。
「ほら、あまり泣かないで、わたくしはちゃんとここにいますわ。ほら涙をふいてふいて。笑顔の方が似合っていますわよ」 
 
 サシャルの指がクリムガンの涙をぬぐうと、そこには泣きながらも笑顔ではにかむクリムガンがそこにいました。














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