雪像



・使用フレーズ「我慢できないほどに辛いのは」








 吐く息は白く、雪がしんしんと降っている。ジュンがこの間まで旅をしていたホウエンでは見る機会のなかったので、見るのは久しぶりだ。旅に出る前は雪が降るたびに喜んでいたと思うけど、今ではただの寒さの象徴にしか映らない。
 現在の時刻は九時五分前。気温が上がり切ってない上に、分厚い雲が頭上を覆っているから余計に寒く感じる。
 そんな状況でかれこれもう十分ほど佇んでいる。九時に待ち合わせだったのだから、もっと遅く来ても大丈夫だったろうか。
 五分ほど前に前を通りすがった人の、不審者を見るような痛かったなぁ。
 そんなことをぼんやりと思っていると後ろから声を掛けられた。
「ごめん。待った?」
 振り返ってみれば、段ボールを抱えた待ち人であるユミの姿があった。ジュンの胸のところまでしかない身長と全体的に幼さを感じさせる顔のパーツ。ショートカットと大きめのダッフルコートが元から幼い容姿をより子供っぽくしているがこれでも同い年の十九歳だ。ユミに言わせれば、三か月だけお姉さんらしいがそういうところが子供っぽく見えるとは気づかない。
「今来たところだよ」
 久しぶりの再会は使い古された言い回しから始まった。
 実際は割と待ったけれど、それを言うのはカッコ悪い気がした。それに久しぶりの再会だ。恨み言はなしにしよう。
「朝っぱらから呼び出しに応じてもらってありがたいです」
「朝は強いから大丈夫だ」
「そうなんだ」
 別に朝っぱらから呼び出されたことは辛くはない。トレーナーの朝は早いのだ。我慢できないほどに辛いのは外の寒さだった。
 この間までホウエンにいたから、シンオウの寒さは身体に応える。
「段ボール持つからよこせ」
「ありがと」
 手荷物の段ボールはずっしりと重かった。箱の隙間から中を見ると雪が入っていた。ある意味で予想通り。
 大丈夫かと聞いてくるユミにこのぐらいの重さなら平気と軽く答える。
「今日はどこいくんだ?」
「学校の飼育小屋で雪像を彫ろうと思ったんだ」
「それに。家に居ても親に小言もらうだけだからな」
「まだ親に反対されてるんだ」
 まだ、とは旅立つときのことを言っているのだろう。あのときもあんたには無理だからと反対された。ただ、現在進行形でジュンがされている心配はあのときとはまた違うものだった。
「もう二十歳だからこっちに戻って来いだとさ。今更こっちでやれることなんてないだろ。大学行くにしろ就職にするにしろ、まだ間に合うだとさ」
「この間はホウエンリーグでベスト八になったのにまだ反対されてるんだ?」
 旅を実際に長い期間やってきたのだから、もう旅が向いていないんだからとは言わない。ただ、やはり将来を考えると親は心配になるらしい。これでもそれなりの成果を出しているのだから、親はポケモンリーグを見たがらない。
 こちらを気遣うような上目遣いに、軽く手を振って答えた。
「どうせ、優勝しないうちは二流だと思ってるんだろ。まぁ、まだやれると思ううちはやるよ。もっと実力がつければ、ジムリーダー試験を受けることができるだろうし」
 ジムリーダーになれば、収入はともかく真っ当な仕事だろう。一応はポケモン協会に雇われる公務員になるわけなのだから。
 そんな他愛ない話をしながら、校庭を横切ってやってきたのは端っこにある小さな飼育小屋。そこではコラッタやポッポが種類ごとにケージに入っていた。寒さはポケモンも同じなのだろう。吹きさらしのケージの隅っこで同族同士で固まって目を瞑っている。自前の毛皮や羽毛でさえこの寒さは凌げないらしい。
「今日は何をするつもりなんだ」
「ポッポを彫ろうと思ったんだ」
「スマホとかで画像検索した方がよかったんじゃないか?」
「実際に実物を見ながらやったほうがいいからさ」
 来ておきながら今さらなそんな質問に、分かりやすい答えが返ってきた。確かに実際のポケモンを見た方が造りやすいのだろう。立体を表現するわけでもあるのだから。
「氷像を造ろうと思ったから、シアちゃんの力を借りようかと思ってさ」
 どうせ、そうなんだろうなと思った。旅に出る前から雪が降っている間は毎日雪像作りに付き合わされたからだ。グレイシアの付属物にしか思ってないんだろうかと少し不安に思いながら、御所望のポケモンをボールから出した。
 モンスターボールから出されたグレイシアは眠そうだった。
 しょうがないか。こいつは朝に弱い。それでも、横にいるユミを、正確にはその手に握られているノミと千枚通し、そして足元の雪の塊を一瞥すると溜息を吐いた。
「シアちゃん、ごめんね。今日はこれを凍らせてほしいの」
 そういって、雪の塊を指さす。
 面倒くさそうな顔をしながらもグレイシアは”れいとうビーム”を繰り出して、雪の塊は固めてくれた。ありがとうと一言いうと、ユミはさっそくノミで雪を削っていく。手持無沙汰になったジュンは後ろから眺めるしかできない。
 昔と同じように大体の形をノミで成形して、細かいところを千枚通しで整えていくのだ。
「でも、すごく頑張ってるね」
 さっきの話の続きだろう。
 手元は忙しなく動いていても
「急に旅をするなんて言った時はびっくりしたけどね。相談もされなかったし」
「どうせ、誰に言っても反対されると思ったからな」
「まさか。ポケモンバトル楽しそうにやってたのは知ってたもの。だから応援したと思うよ」
「思うよってなんなんだ。思うって」
 なんとも頼りない言葉である。どうやら相談はしなくて良かったようだ。
 今もあの時もガキっぽいのは変わらない。可愛い女の子に無理だよと言われていたら、おそらく落ち込んで諦めただろうから。
「上手くいかないときの方が多いけれど、それでも楽しいよ。そっちは?」
「こっちも楽しいよ」
 同じく即答で返ってきた。心底楽しそうな笑顔だった。芸大ではさぞかし意識の高い連中が多いのだろう。あるいは変人か。少なくとも朝っぱらからこいつの創作意欲を刺激するような人間がたくさんいるにちがいない。
 今日だって、きっとその影響なのだろう。鼻歌でも歌いだしそうなほどに上機嫌に彫っていた。
 普通ならもっと繊細にやらなければ形が崩れるというのに、流石芸大。適当に彫ったように見える線でも、二本三本と重ねるとらしく見えてくる。魔法か何かかと聞きたくなるほどの腕前だ。そして、何より作っている本人は楽しそうなのが見ていて気持ちがいい。一生懸命な人間を見ているなにかをやらないといけないなと思わせる。
 今はもう無理だけど、昔はこいつと一緒にたくさんのものをつくったものだ。
 昔からそういうやつだった。自分にできることを誇りはしない。他人のものだけを褒めて、刺激を受けて、作り始める。作った後には見向きもしない。
 他人の評価ばかり気になる俺からしたら羨ましい限りである。どうしたら他人の目を気にしないで済むのだろうか。どうでもいい一言にさえ俺は気になってしょうがないのに。
 あるいはこういうのも才能と呼ぶのだろうかとふと思ってしまったから、造ることをやめたのだ。
 隣で作ることを諦め、後ろから見ているだけで満足してしまう自分がいた。造れなくなったことを他人事のように残念に思う。
 もう追いつけない位置にいることは分かっている。けれど、見続けることもやめられなかった。こいつの創作は眼をそむけるにはすごすぎる。勿体なさすぎる。だから、俺は旅をした。何もしないままにこいつの隣にいることはカッコ悪いと思ったから。
 走り出した道は思っていたより向いているようで答えてくれる。この道を駆け抜けたその先にあるものが自分に自信を与えてくれるかは分からないけれど、それでも走ることは楽しかった。
「よし、これで終わり」
 唐突に千枚通しを振り上げた。
「つきあわせてごめんね」
 楽しかったから気にすんな、いいものが見れたと言うべきかもしれない。それでも、結局言えたのはそっけない言葉だった。
「缶コーヒー一本で許してやるよ」
 昔からこいつの創作衝動に付き合っていろんなものを見ていたけれど、そのことに対する礼を言ったことはなかった。すごいということは、それだけ遠くから見つめることになるような気がしたからだ。
「えぇ、それはやだなぁ」
「なら、写真でも取るわ」
「あとで送ってくれるならどうぞ」
 許可も出たので、遠慮なく写真を撮ることにする。
 白いポッポはあまりの寒さに雪になってしまったようだなと思った。
 きっと誘われれば見に来てしまうのだろう。誘われれば、付き合ってしまうのだろう。ユミの創作のように自信を持てることなんて何一つないけれど、それでも、いいなと思って。それに対して、手を伸ばし続けるのだろう。














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