・使用フレーズ「ボクは死んだように息を吐いた」
アオ、わたしにはあなただけ。ずっとずっと一緒よ。
*
アイちゃんどうしてどうしてボクを閉じ込めたの。
いつだってボクらは一緒だったじゃないか。
ボクはアイちゃんのぬいぐるみ。アイちゃんが五歳の誕生日にプレゼントされた。
キミはボクにアオって名前をくれたね。男の子の格好をしたボクの服が青かったから、という単純なものだったけど、ボクは自分の名前が好きだよ。
だってアイちゃんがくれたものだから。
はじめはどこへ行くのも一緒だったけど、だんだんアイちゃんのお部屋でお留守番していることが多くなった。さびしかったけど、ボクはちゃんとお留守番してたよ?
あの頃、アイちゃんはよく泣きながらながらボクを抱きしめていたっけ。
ボクがぬいぐるみだからずっと一緒にいられない、と言ってキミは泣いてた。慰めてあげたかったけど、ボクはしゃべれないからただキミに抱きしめられるだけだった。
でもある日。キミはボクを閉じ込めた。おうちのなかじゃない、この物置に。
ねえどうして。
あの時キミはボクの腕に青いリボンを巻いてくれたっけ。そのリボンは今だって腕に巻いたままだよ。キミはごめんねって何度も言ってた。謝るくらいならはじめから閉じ込めないでよ、アイちゃん。
そうしてキミはバイバイと言って、ボクを暗闇の中に閉じ込めた。
ねえアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃん。どうしてここから出してくれないの。
あれから何度か物置の引き戸が開けられたけれど、誰もボクに見向きもしないし、アイちゃんがボクを出してくれることはなかった。なんで、どうして。
アイちゃんに会いたいよ。アイちゃんに会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい会いたい逢いたい逢いたい逢いたい逢いたい逢いたいあいたいアイたいアイタイアイタイアイタイアイタイアイタイアイチャンニアイタイ。
キミが大好きだった。ずっと一緒だって信じてた。キミだってそう言っていた。なのに、キミは。
ドウシテボクヲ閉ジ込メタノ。
物置が開けられることもなくなって長い時間が過ぎた。暗闇の中、キミへの思いがボクという存在を繋ぎ止める。
ボクはこんなに苦しいのに、キミは迎えに来てくれない。キミも同じように苦しめばいいのに。そうしたらボクの気持ちわかってくれるよね。
どんな風に苦しめてあげようか。首を絞めてあげようか。それとも手足をもいであげようか。そう簡単にはコロしてあげないから安心してね。
そんな風にアイちゃんのことを考えていると、久しぶりにガタガタと戸が音をたてた。そうして少しだけ戸が開いて、足音が去っていった。一体なんだったんだろう。開けっぱなしでいいのかな。
光が物置の中に差し込んで来て眩しい。直接当たっているわけではないけれど、久しぶりに見る強い光があまりにも眩しくて、ボクは光を遮った。目の前が真っ黒になる。
あれ? ボクは今何をしている? ボクは……動けるの?
足に力を込めて立ち上がる。立てた! ボク、立てた!
一体どうして? 理由はわからないけれど、これでアイちゃんに会いに行ける。
とてとてと光のところまで歩く。自分の体をよく見たくて。薄暗いせいで見間違えたのかと思ったけれど、やっぱり真っ黒だ。気のせいなんかじゃなかった。
腕も足も、お腹も黒い。これじゃあアイちゃん、ボクのこと分からないんじゃないかな。
そのとき左腕に違和感を覚える。あ、そうか。リボンがあった。アイちゃんが結んでくれた青いリボン。
ねえアイちゃん。きっとボクのことわかってくれるよね。ねえ?
夜を待った。昼間に行くより、夜こっそり行く方がアイちゃんは驚くでしょう? びっくりさせたいんだ。
開けっぱなしの戸の隙間を通って物置から脱出する。月が出ている。何年振りかの外だ。これで暗い物置とはおさらば。
アイちゃんのおうちはボクの記憶と同じままだ。雨どいをよじ登る。アイちゃんの部屋は二階だからね。
ああでも、窓が開いてなかったら中に入れない。とりあえず行くだけ行ってみよう。そうだ、窓なんて割ってしまえばいい。ボクは絶対にアイちゃんに会うんだ。だから窓の一枚や二枚、かまわない。
さあ行こう、アイちゃんのもとへ!
アイちゃんの部屋の前。明かりはついていないし、カーテンも閉まってる。きっと寝ているんだろうな。起こしてしまうのはちょっと悪い気もするけど、ボクはアイちゃんに会いたいんだ。
会えたらまずはどうしようかな。アイちゃんの首に思いっきり抱きつこうかな。でもアイちゃんが動けるうちに離れてあげないと。それから、ボクを閉じ込めた悪い手にお仕置きしよう。そうだ、逃げられないように足をもいでしまおう。そしたらずっと一緒にいられるね、アイちゃん。
とりあえず窓にカギがかかっているかどうか調べてみないと。かかっていなかったらもうけもの。そうしたらカラカラと軽い音を立てて、いとも簡単に窓が開いてしまった。不用心だなあアイちゃんは。でもこれで静かに部屋に入れる。
なんだかドキドキするなあ。やっとアイちゃんに会えるだなんて。夢みたいだ。
ボクが入れるようにさらに窓を開ける。なるべくそっとね。少し音がしたけど、眠っているなら大丈夫だろう。カーテンをめくり、いざ部屋の中へ。
アイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃんアイちゃん。
キミに、逢いに来たよ!
でも、部屋に入った瞬間、明かりがついた。
あれ?
数メートル先に立っている女の子は、大きくなったアイちゃん?
「アオ!」
気がつくとボクはアイちゃんの腕の中にいた。
*
愛しているわ。愛しているの、アオ。
わたしにはアオだけだった。引っ込み思案なわたしの友達はアオだけで、いつでもどこでも一緒だった。誰かと話をするよりも、アオと一緒にいる方が楽しかった。
アオとばかりいるわたしを両親は心配したけれど、わたしにはアオ以外必要なかった。そっとしておいてほしかった。
成長するにつれて、ずっと一緒とはいかなくなる。学校なんて苦痛で仕方がなかった。アオと一緒にいることはできないし、授業はつまらない。その上ギャーギャーとうるさいだけの奴らと、同じ空間にいなくてはいけないことが何より苦痛だった。学校が終わればまっすぐ家に帰って、アオの待つ自室へと向かった。
アオ、あなただけがいればいい。あなたさえいれば何もいらないの。
学年が上がっていくと、ちらほらとポケモンを連れてくる子供たちが出てきた。一応禁止はされていないけれど、みんながわーわーギャーギャーとうるさくなるので私からするとかなり迷惑だった。
なんだってあいつらはあんなに騒ぐのだろう。そういう目でずっと見ていたけれど、ある日気がついた。
ポケモンなら、学校につれて行くことができる。
でも残念なことに、アオはポケモンじゃなくてただのぬいぐるみだ。だから、アオと一緒に学校へ行くなんてことはできない。
アオがポケモンだったらよかったのに。そう思って泣いたことが何度もあった。
ああアオ、どうしたらあなたとずっと一緒にいられるの?
そんなある日のこと。わたしがいつものように暇で仕方ない休み時間を利用して宿題を片づけていたときだった。
「ねえ、知ってる? ジュペッタっていうポケモンは、元々捨てられたぬいぐるみなんだって」
ぬいぐるみがポケモンになるの?
「それでね、自分を捨てた子供をずっと探しているんだって」
彼女らの話は移り気で、すぐに次の話題へ変わったけれどわたしは聞いた。これが本当なら、アオもポケモンになれる!
わたしはすぐさまジュペッタについて調べた。口のチャックを開けるとエネルギー?が抜けていくなんてなんだかちょっと可愛い。でもそんな可愛さに反して噂は怖い。
遠くのゴミ捨て場に捨てたのに家に戻ってきて持ち主を殺しただの、持ち主を見つけられずずっとさまよっているだの。こんな風に捨てられたぬいぐるみが怨念によってジュペッタになる、というのはかなり有名な噂だった。
アオを、捨てる? まさかそんなことできっこない。だって噂が本当じゃなかったら、わたしはアオを失うことになる。そんなの耐えられない。アオを信じていないわけじゃない。でも、ぬいぐるみがジュペッタになるだなんてにわかに信じがたい。
どうしよう。
何日も悩んだ。アオとずっと一緒にいるなら、この方法しかない。でも、アオを一時的にせよ失うような真似はしたくなかった。
だからわたしは
アオを物置に閉じ込めた。
ゴミ捨て場に捨てて、アオが戻ってこなかったらわたしは一生後悔する。なら、捨てるのとほとんど同じ状態にしてあげればいい。アオには可哀相だけど、捨てられたと思ってもらえればいいのだ。だから、バイバイと言って暗い物置に閉じ込めた。ジュペッタになったら姿が変わってしまうから、すぐにアオだと分からないかもしれない。だから、アオの名前と同じ青いリボンを腕に巻きつけておいた。これですぐにあなただってわかるよ。
本当はすぐにでも物置から出してあげたかった。でも駄目。アオがきちんとジュペッタになるまで我慢我慢。
アオ、早くわたしを迎えに来て。ギャロップに乗った王子様ならぬ、怨念宿したジュペッタのあなたを待っているの。ねえ、早く。
けれど、待てども待てどもアオは姿を現さない。やっぱり噂は嘘だったんだろうか。それともゴミ捨て場に捨てるというわかりやすい方法じゃないと駄目なのかな。
アオを連れて帰ろうかと考える度、もしかしたら時間が足りないのかもしれないと連れ出すのをためらう。あともう少しでジュペッタになるところだったらどうしよう、と。
あなたを思わない日なんてない。ずっとずっとあなたに会いたくて仕方がないの。ねえどうしてあなたは私を迎えに来てはくれないの? わたしのこと嫌い? ジュペッタになるほど、わたしを愛してくれなかったの? わたしはこんなにあなたを愛しているのに。
そうやって数年が過ぎた。アオをジュペッタにすることは半ば諦め始めていた。相変わらず友達とか言う気持ちの悪いものはできていなかったけど、それなりに快適に暮らしていた。
十五歳の誕生日が近づいていた。どうせだから、誕生日にアオを物置から連れ出そう。ぬいぐるみがジュペッタになるなんて嘘だったんだ。あんな迷信を信じたわたしが馬鹿だった。本当ならアオと一緒にいられる時間をわたしは無駄にしただけだった。
そう考えたとき、ふと思った。もしかしたら、アオは物置の戸を開けられないだけなんじゃないかって。そういえば、あの物置には一応かぎがかけられている。なんてことだろう! アオが出て来れないのも当然じゃないか!
すぐにでもかぎを開けて会いに行こうとするのを、一歩手前で踏みとどまった。どうせならもっと感動的な再会がいい。やっぱりアオに迎えに来てもらいたい。
そうだなあ、アオが出てこれるように物置を少しだけ開けておこう。それから、部屋にはきっと窓から入ってくるだろうから窓のかぎは開けておかないと。明かりがついていたら怪しいから明かりは消しておこう。そして、すぐに抱きしめてあげられるように待機して。
うん、これなら完璧。アオ、びっくりするかな?
決行は誕生日。夕方になるのを見計らって物置の戸を少しだけ開けておいた。これで外に出られるね。開けたらすぐに飛び出してくるかもしれないと思っていたけれど、そんなことはなかった。それはそれでよかったんだけどな。
夜は窓のかぎを開けて早めに就寝、と見せかけて明かりを消しただけ。アオが来たらすぐに明かりをつけられるように待機。
さあ、アオ。もういいよ。わたしを迎えに来て!
待っていたけれど、中々アオは来てくれない。うつらうつらしながらアオを待つ。早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く。
もうこっちから迎えに行こうかなと思い始めたとき。カラカラと窓ガラスが開けられる音がした。
アオだ!
ドキドキする。再度窓を開ける音がして、カーテンがめくられる。
来た。アオが来た!
明かりをつけると、そこには口の部分が金色のチャックになっている黒いぬいぐるみがいた。腕には青いリボン。アオだ。
アオだアオだアオだアオだアオだアオだ!
「アオ!」
わたしは何のためらいもなくアオを抱きしめる。
ずっとずっと会いたかった。あなたに逢いたかったの。
「これからはずっと一緒だからね」
*
よくわからないけどボクはアイちゃんに抱きしめられている。
さっきまで恨みとか憎しみとかで頭がいっぱいだったボクとしては、それだけでなんだか幸せすぎて。
ボクは死んだように息を吐いた。