あいにいきたかった少女の話



・使用フレーズ「自己中? 思いやりがない? そんなことはわかってる」








 私は、私だ。

 父さんが何だ。母さんが何だ。バトルが何だ。強さが何だ。エリートトレーナー?ジムリーダー?全部全部自分には関係ない。それでも、父さんも母さんも、私の人生のレールを勝手に敷いていくから。その為ならどんなことだってする、そんな家、こっちから出て行ってやる。自己中?思いやりがない?そんなことはわかってる。もう、限界だ。

 あるよく晴れた春の日の夜。私は、ニナを抱えて家を飛び出した。

 ニナは、私が最初に貰ったポケモン。ふさふさのしっぽが可愛いイーブイだ。父さんのサンダースと、母さんのシャワーズの子どものニナ。父さんと母さんはエリートトレーナーで、二人のポケモンはとっても強い。そのポケモン達の子どもなら、きっと強くなる。そう思って、父さんと母さんは、私の最初のポケモンにニナを選んだんだ。

 父さんと母さんは、とにかく私とニナを強くしたかったらしい。ニナが私のポケモンになってから、父さんと母さんの特訓が始まった。毎日毎日、トレーナーズスクールから帰ってからバトルの練習。ご飯を食べたら、バトルの勉強。そのおかげで、トレーナーズスクールではいつも一番だった。でも、そんな成績、私にはどうでもいい。私は、強くなんてならなくていい。ニナが隣にいて、私に甘えてきてくれるだけで十分だ。私にはニナがいればいい。そりゃあ、強い方が良いかもしれないけど、どうも私には、「強さ」にこだわる理由が分からないんだ。

 勉強を終えてくたくたになった私を、ニナはいつも励ましてくれた。ふらふらになってベッドに飛び込んだ私のそばに寄ってきて、顔をぺろりと舐めてくれるニナ。そんなニナの頭を撫でると、ニナはとっても嬉しそうに眼を細めるんだ。ああ、可愛いニナ。特訓は大変だけど、こうしてニナがいてくれるだけで耐えられる。明日も頑張ろうと、そう思わせてくれる。だからこそ、あんなことになるなんて、思ってもなかったんだ。

「今のイーブイを捨てて、新しいイーブイをあの子にあげた方がいいと思うの」

 真夜中にふっと目が覚めて、トイレに行く途中。珍しく電気がついているリビングから聞こえた声に、私は驚いて立ち止まった。

「それもそうだな。あのイーブイは能力も低いし」
「あんなにバトルしてるのに、一向に技も覚えないでしょ?能力の上がり具合を見て何に進化させようか考えようと思ってたんだけど。攻撃もダメ、防御もダメ、素早さもダメ。あれじゃあ何に進化させても活躍しないわ」
「ああ。じゃあ、明日育て屋に行って新しいイーブイを貰ってくるよ。あいつが寝てる間にこっそりすり替えれば、大丈夫だろう」

 気付けば、走り出していた。私は真っ直ぐに部屋まで向かうと、トレーナーズスクールに持って行っている鞄を抱えて、明日から履くつもりで部屋に置いておいたランニングシューズを履き、すやすやと眠っているニナを抱きかかえて窓から飛び出した。後ろから、母さんの声が聞こえた気がした。振り向いちゃいけない。立ち止まっちゃいけない。ここで母さんに捕まったら、ニナが捨てられちゃう。ニナと離れ離れになっちゃう。ニナのいない世界で強くなったって、何の意味も無い。ニナと一緒にいたい一心で、私はとにかく走った。

 足を下ろす度に、ニナの重さがずしりと腕にかかる。ニナを走らせればいいのだろうけど、ニナは生まれつき足が遅いから、そうもできない。がむしゃらに逃げてきたせいでかなり揺れたみたいで、ニナは途中で目を覚まして悲しそうに鳴いた。

「ごめんね」

 息が上がっているせいで、言葉は声にならなかった。それでもニナには通じたみたいで、小さく鳴いて私の腕を舐めた。

 空が明るくなってきた。家を出てから、どのくらい経ったんだろう。私は草原の木に倒れこむと、夜なのか朝なのか分からない空を見上げた。ニナも私の隣に倒れこんで、私に甘えるように体を寄せてきた。ニナも眠いんだろう。私も眠い。私はニナを抱きかかえると、ゆっくり目を閉じた。

* * *

 目を覚ますと、そこは知らないところだった。どれだけ長く走ったのだろう、見たことも無い景色が私とニナの前には広がっていた。それでも、不安はなかった。ニナさえいれば、私はどこまでも行ける。

「ニナ、起きて」

 ニナの体を軽く揺すると、ニナはゆっくりと目を開けて立ち上がった。ニナは目の前の景色に少し驚いていたみたいだったけれど、私の顔を見るといつものように小さく鳴いた。

「行くよ、ニナ。このまま、どこまでも、一緒に行こう」

 私が走り出すと、ニナも走り始めた。風が気持ちいい。しばらく走ってから、私は草むらに飛び込んだ。ニナも草むらに飛び込んでくる。雨が降ったわけでもないのに濡れている草が、光を反射してきらきら光っている。その水がズボンにかかって、冷たくて、気持ちよかった。

 すぐ近くで草むらが揺れた音がした。これは、野生のポケモンがいるという合図なんだというのは勉強したから知っている。一人で戦う、初めてのポケモンバトル。どきどきした。ニナも音のした方に向かって威嚇をした。出てきたのは、小さなコラッタだった。これなら、きっと倒せる!私は大声で叫んだ。

「ニナ、でんこうせっか!」

 言い終わらないうちに、ニナはコラッタの方に走り出していた。ニナが素早く攻撃すると、コラッタは倒れた。ニナは嬉しそうにしっぽを振って、私の方へ戻ってくる。

 ニナは強い子だ。まだ進化もしてないのに、野生のポケモンを一撃で倒せる。それなのに、父さんと母さんは……。私は頭を大きく振ると、ニナを抱き上げて頭を撫でた。

「すごい、すごいよニナ!」

 ニナは小さく鳴いて、私のほっぺたを舐めた。くすぐったかった。くすぐったいって言っても、ずっと私の顔を舐めるのをやめないニナ。嬉しいんだろうな、と思った。私も嬉しいよ、ニナとバトルができて。そんな気持ちを込めて、私はニナのあごを撫でた。

「ニナ、どんどん行こう!」

 私が言うと、ニナは私の腕から飛び降りて走り始めた。草むらから出てくる野生のポケモンは、みんなニナの攻撃でどんどん倒れていく。楽しくなって、私とニナはどんどん草むらのポケモンを倒した。気がつくと、もう空は夕焼けになっていた。

「えっ、もうこんな時間……」

 そう言ったところで、私のお腹がぐうと鳴った。周りにはニナしかいないのに、なんだか恥ずかしくなって下を向くと、ニナは私の足に前足をかけて私の顔を見た。これは、ご飯をおねだりするときのポーズだ。ニナもお腹が空いているんだろう。よく考えると、昨日の夜から何も食べていなかった。

「ニナ、ご飯にしようか」

 私が手を差し出すと、ニナは私の腕に飛び込んでくる。初めて見る街は、私の住んでいた街とは違って、建物がたくさんあった。大きなデパートもある。私と同じくらいの年の子がたくさん、家族で買い物に来ている。そうか、今日は日曜日だ。私はまずポケモンセンターに行ってニナを元気にさせてから、デパートに行って食べ物を買った。毎日母さんから貰えるお小遣いを貯めておいたから、お財布の中身はたくさんある。これなら、まだまだ帰らなくても大丈夫だ。

 今はまだ弱いかもしれないけど、毎日野生のポケモンとバトルしていけば、私もニナも強くなる。そうしたら、他の人とバトルしてお金が稼げるようになる。そうなったら、もうずっと帰らなくていいんだ。ニナと一緒に、ずっと過ごせる。父さんや母さんに邪魔されることもなく、ニナと一緒にいられる。そう考えると、「強い」ことも悪くないな、と思った。強くなれば、ニナと一緒にいられる。強くなりたい、強くならなきゃ、と思った。

 今日も外で寝なくちゃいけないかと思ったけど、ポケモンセンターに泊まらせてもらえたから、ぐっすり眠れた。トレーナーになるとポケモンセンターを自由に使えるようになるというのは知っていたけど、まさか寝るところまで貸してくれるとは思わなかった。昨日の疲れもすっかり取れた私は、ニナを連れて草むらに出かけた。
 草むらは、昨日と同じようにきらきら光っていた。でも、昨日とは違って人がいた。私よりも年上のお姉さんだ。緑色の服を着ている。お姉さんは私に気が付くと、こっちに走ってきて言った。

「君も、トレーナー?」
「うん」

びっくりしたから、何も考えずに頷いてしまった。

「じゃあ、バトルしよう!」

 そう言われてから、ああ、やっちゃった、と思った。まだ人とバトルはしないつもりだったのに。トレーナーズスクールでもバトルはするけど、周りのみんなもまだトレーナーになってすぐだから、弱い。でもこの人は、旅をしているトレーナーだ。きっと強いんだろう。しかも、負けたらお金を取られてしまう。緊張で、足ががたがた震えた。ニナは私が緊張しているのが分かるみたいで、私の腕から飛び降りると、私の顔を見て小さく吠えた。大丈夫だよ、と言っているみたいだった。

「……うん、負けないよ!」

 指示を出すのは私だけど、戦うのはニナだ。そのニナが、大丈夫だって言っている。大丈夫だ。やれる。

「よーし、いけ、ポッポ!」

 お姉さんの出してきたのはポッポだ。ポッポは飛行タイプだから、地面の技が効かない。これも、トレーナーズスクールで勉強したことだ。

「ニナ、でんこうせっか!」
「ポッポ、かぜおこし!」

 ニナの攻撃が当たってから、ポッポのかぜおこしがニナに当たる。ニナはちょっと苦しそうだったけど、まだ戦えるみたいだった。

「ニナ、もう一回でんこうせっか!」

 ニナがポッポに攻撃すると、ポッポは倒れた。お姉さんはポッポをボールにしまうと、私の方を見て笑って言った。

「君のイーブイ、強いね!びっくりしたよ!」

 お姉さんは、負けたのにとっても嬉しそうだった。バトルできることが楽しいのかもしれない。褒められてか、つられてか、私も笑った。

「ありがとう。君のポッポも、とっても強かったよ」

 私がそういうと、お姉さんは右手を差し出してきた。私も、右手を出して握手した。これが、「けんとうをたたえあう」ってやつなのかと思うと、一気に大人になった気分だった。

「そうだ、負けちゃったから、はい、これ。またバトルしようね!」

 お姉さんは百円玉を私に渡すと、大きく手を振って街に戻って行った。初めてのバトルで、初めて貰ったお金。今まで見たどんな百円玉よりも、大事な百円玉だと思った。お財布にしまおうと思ったけど、他の百円玉と混ざるのがもったいないから、鞄の一番小さなポケットに入れた。

「ニナ、頑張ったね。一旦ポケモンセンターに戻ろうか」

 私はニナを抱えると、また街へ向かった。なるべく草むらを避けて歩こうと思ったけれど、どうしても草むらを通らなくちゃいけないところは、ゆっくり、そうっと歩いた。それでも、野生のホーホーに気付かれてしまった。

「どうしよう……」

 今にも襲い掛かってきそうなホーホー。逃げることもできるけど、ニナは私の腕から飛び降りた。さっきと同じように。まだ戦えると、言っているみたいだった。

「ニ、ニナ、でんこうせっか!」

 ニナが攻撃すると、あっさりホーホーは倒れた。良かった、そう呟いてニナを抱えようと手を伸ばすと、ニナの様子が何かおかしいことに気付いた。

「ニナ?どうしたの、ニナ?」

 ニナがなんだかくすぐったそうにしている。と、突然ニナの体が光った。これは、もしかして。ニナの体が眩しすぎてずっと目を開けてはいられなかったけど、ニナのふさふさのしっぽが細くなっていたのはわかった。

 目を開けると、ニナは、ピンク色になっていた。ふさふさの首の毛も無くなって、しっぽも細くなってすっきりしている。耳は長い三角になって、耳の下に長い毛が生えている。おでこには、赤い宝石のようなものがついている。

「もしかして、エーフィ……?」

 私がそう言うと、ニナは私の目を見て小さく鳴いた。どうやら、正解らしい。

「すごいよニナ!進化したんだね!」

 私はニナを抱きしめると、思い切りニナの頭を撫でた。ニナはいつもよりもずっと激しく、私のほっぺたや腕を舐めた。くすぐったくて、嬉しくて、ポケモンセンターに戻るまで、ずっとニナを抱きしめていた。

 ポケモンセンターにニナを預けてから、私はトレーナーズスクールで勉強したことを思い出していた。先生はちょっと前、進化についての話をしてくれた。そこでちょうど、イーブイの話をしていたんだ。

――イーブイは全部で7通りの進化がある、珍しいポケモンです。たとえば、このブラッキーとエーフィには、なつくと進化します。
――せんせー!なつく、ってなんですか?
――「愛」です。あなた達トレーナーがポケモンのことを愛し、それがポケモンにも伝わり、ポケモンがあなた達を愛すること。これが、なつくということです。

「愛、か」

 私はトレーナーズスクールの教科書を読みながら、いつの間にかそう言っていた。名前が呼ばれた。私は教科書を鞄にしまうと、ニナを受け取りに行った。

「ニナ」

 モンスターボールから出したニナを抱えて、私は言った。

「ニナは私のこと、好き?」

 ニナは、もちろん、と小さく鳴いた。実際にニナが喋ったわけじゃないけど、絶対、ニナはそう言ってくれていたと思う。

 私はニナを抱えたまま、デパートに買い物に行った。オムライスのおにぎりがあったから、それを買った。食べてみたけど、冷たくて美味しくなかった。家で食べるオムライスの方が、あったかくてもっともっと美味しかった。でも、今はそんなことはどうでもいいんだ。ニナがやっと進化した、エーフィになったんだ!私はそのことが嬉しくて、お昼ご飯を食べてからもずっとニナを抱えて頭を撫でていた。ニナは私の腕に、ずっと頭をこすりつけていた。

 暗くなるまで草むらで修行して、ポケモンセンターに戻った時には私もニナもへとへとになっていた。ニナは今日、新しい技を覚えた。スピードスターという技で、絶対先に攻撃できるわけじゃないけど、でんこうせっかよりずっと強い。それに、ニナは進化してからすごく足が速くなった。普通に攻撃しても、先に攻撃できることが多い。ニナはスピードスターで、何匹もポケモンを倒した。バトルにも勝って、お金を貰った。帰りに、ニナにそのお金でミックスオレを買ってあげた。ニナは美味しそうに飲んでいた。なんだか私も嬉しくなった。

 その日の夜はなんだかどきどきして、疲れているはずなのに、いつまで経っても眠れなかった。目を閉じると、胸がざわざわして、つい目を開けてしまう。そんな私に気付いたのか、ニナが枕元までやってきて、そっと私の隣りに寝た。ニナはとってもあったかかった。

 気付いたら朝になっていた。なかなか開かない目で時計を見ると、もうお昼になっていた。私は慌ててポケモンセンターを出た。

 それじゃなくてもお腹が空いてるのに、お昼ご飯のいい匂いがいろんな家からしてくるから、どんどんおなかが空いていく。あの家はカレー。あの家はお魚を焼いている。あの家からは、ソースの香りがする。私は急いでお店に飛び込むと、メニューから食べたい物を注文した。

 お腹が膨れてから、私は今までとは違う方向の草むらに向かった。草むらは今までのものよりも色が濃くて、いかにも強いポケモンが多そうだった。だけど、ニナは強くなったんだから問題ない。私はニナをモンスターボールから出すと、草むらに入った。

「いくよ、ニナ!」

 私の後を追いかけて、ニナが草むらに入ってくる。三歩進んだところで、草むらが揺れた。予想通り、ポケモンが飛び出してきた。

「……なに、こいつ」

 出てきたのは、見たこともないポケモンだった。

 白い体に黒い顔、黒いしっぽ、おでこにも同じ色の模様、そして、顔の左側に、黒い剣みたいなものがくっついている。初めて見た。でも、負ける気はしなかった。

「ニナ、スピードスター!」

 ニナが攻撃しようとしたその瞬間、野生のポケモンはものすごい速さでニナを攻撃してきた。ニナの一瞬の隙をついた攻撃が、直撃する。その一撃で、ニナがふらりと倒れた。信じられなかった。

「ニナ、大丈夫!?ニナ……」

 私は慌ててニナを抱えた。ニナはぐったりとしていて、うっすらと目を開けて私を見ると、また目を閉じた。そんなニナを見ていると、頭がふらっとして、目の前が真っ暗になった。

 ふっと目が覚めると、もう夜になっていた。真っ暗な中、ニナがぼろぼろの体で私の顔を舐め続けている。私ははっとして、ニナを抱きしめた。

「ごめんね、ニナ」

ニナをぎゅっと抱きしめると、鼻の奥がつうんとした。知らないうちに、涙が出ていた。

「……さみしい」

 涙と一緒に出てきたのは、今まで無理やり抑え込んできた気持ちだった。ニナとの生活、それはとっても楽しかった。でも、やっぱり一人は寂しい。ニナが一緒でも、結局は二「人」なんかじゃない、一人なんだって思うと、悲しくならずにはいられなかった。涙がぼろぼろと落ちた。
「ニナ、帰ろう。父さんと母さんに、会いに行こう」

 ニナは小さく鳴いて、モンスターボールに入っていった。

 ニナをポケモンセンターで回復させてから、私は夜の街を走った。とにかく、早く帰りたかった。ちょっとでも早く帰りたくて、ここに来た時と同じように、全力で走った。

 だから、暗闇の中から突然現れたトラックに気付かなかったんだ。

 気が付いた時には、トラックがもう目の前にいた。ああ、ここで死ぬんだなって思った。私が、悪い子だったから。勝手に家出した悪い子だから、ばちが当たったんだと思った。

 死にたくないと思った。こんなところで死にたくないと思った。でも、もう無理だ。そう思って目を閉じた。

* * *

 目を開けると、家の前だった。体はどこも痛くない。足元を見ると、ニナが私の足に寄り添っていた。

「もしかして、ニナ、助けてくれたの?」

 ニナは顔を上げて鳴いた。そうだよ、と言っているみたいだった。

 そういえば、エーフィはトレーナーの危険を予測できるという話を聞いたことがある。だとしたら、トレーナーが危険なことになったときも、助けることができるのかもしれない。それが、今のこれなのかもな、と思った。

「ありがとう。じゃあ、帰ろう」

 ニナの頭を撫でてから家のインターホンを押すと、お母さんが飛び出してきた。母さんは私を見て、驚いた顔で叫んだ。

「どこ行ってたのよ、もう!」

 そう言われて、ぎゅっと抱きしめられた。ああ、帰ってきたんだな、と思った。また涙が出てきた。母さんも泣いていた。父さんも出てきて、母さんごと私を抱きしめた。父さんも泣いていた。三人で、わあわあ泣いた。

「父さん、母さん、ごめんなさい」

 泣いていたから、この一言を言うのがやっとだった。父さんも母さんも、泣きながら、そんなことはいいんだと言ってくれた。

 走ったからか、夜遅いからか、眠くなってきた。私は父さんと母さんに抱きしめられながら、ゆっくり目を閉じた。最後に見えたニナが、悲しそうに鳴いていた。

* * *

 数日ぶりの再会を果たした我が子は、この家に無言で帰ってきた。

 ベッドに横たわった、年端もいかない少女。頭に包帯を巻かれた痛々しい姿でありながら、顔は奇跡的に傷一つなく、これが息をしていない人間とは思えない美しさを保っている。生えそろった長い睫、薄い唇、すっと通った鼻筋。すすり泣く声が、静かな部屋に響き渡った。

「私が、私があの時、止められていれば……」

 女性の目尻から何滴目かも分からない雫が零れ、白いガーゼのハンカチに吸い込まれていく。咳き込んだ彼女の背中を、男性がそっとさすった。

「何度も言うが、お前のせいじゃない。そう思いつめるな」

 背中の手をふと止めてベッドを見ると、数日前までは元気にしていた我が子が息も無く眠っている。彼は唾を飲むと、大きく息を吸い込んで飲み込んだ。手が震えた。この震えが彼女にも伝わってしまうのではないかと思ったが、手を離そうとは思わなかった。彼女は落ち着いてきたようで、呼吸の速さは平時のそれに戻りつつあった。

 もう一度、鼻をすすり上げる音が響いた。床に座っていたエーフィがベッドに上がり、少女の冷たくなった頬をそっと舐めた。そして、小さく鳴いた。














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